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藤白坂。

有間皇子は孝徳天皇の皇子で中大兄皇子とは従兄弟関係にありました。

有力な皇位継承者であったため、政争に巻き込まれるの避けようと

心の病を装っていました。


しかし、中大兄皇子の策略により、謀反を企てたとの罪で、

牟婁の湯(白浜湯埼温泉)に行幸中の斉明天皇の元へ護送される途中

藤白坂で処刑されました。




有間皇子のお墓と歌碑。
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藤白神社から徒歩3分のところにありました。


磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また還り見む

 磐代の浜松の枝を引っ張って結び、道中の息災を祈る――願いかなって無事であったなら、

 また帰って来てこの松を見よう。


家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕旅にしあれば 椎の葉に盛る

 家にあったたならば食器に盛る飯を、草を枕に寝る旅にあるので、椎の葉に盛るのだ。


自分の運命を悟っていた有間皇子の心情がしのばれます。



丁石地蔵。
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一丁(109㍍?)ごとに、かわいらしいお地蔵さんが並んでいて

旅路の安全を見守ってくれています。



しばらくは舗装された道を歩きました。
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舗装道路に別れを告げ山中に分け入っていきました。
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この日のママさんは快調に歩きましたよ。
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十二丁を過ぎたあたりから深い竹林が続きました。
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十四丁。筆捨松と硯石。
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筆捨松。
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平安初期の仁和(885)のころ、絵師巨勢金岡は熊野への途次、

藤白坂で童子と出会い競画をすることになり、金岡は松にウグイスを、

童子は松にカラスの絵を描いた。

次に、金岡は童子の絵のカラスを、童子は金岡の絵のウグイスを、

手を打って追うと、両方とも飛んでいった。

こんどは、童子がカラスを呼ぶと、どこからか飛んできて絵の中に収まった。

しかし、金岡のウグイスはついに帰らなかった。

金岡は「無念!」と筆を投げ捨てた。筆は「投げ松」のところへ落ちた。

以来、筆捨松と呼ばれてきた。童子は熊野権現の化身であった、といわれている。

(郷土史より)



硯石。
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硯石は、その故事にちなんで、初代紀州藩主徳川頼宣公が筆捨松のそばに造らせたと

伝えられています。


筆捨松を過ぎると藤白峠まではあと少し・・・
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十八丁目のお地蔵さん。
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このお地蔵さんが最後のお地蔵さんです。




歩くこと1時間、藤白峠の地蔵峰寺に到着しました。PB222421.jpg


「峠のお地蔵さん」と呼ばれる大きなお地蔵さんが本堂にお祀りされている

地蔵峰寺。

塔下王子跡です。



御所の芝からの風景。
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ここまで登ってきた疲れが吹き飛ぶような、すばらしい眺めです。


御所の芝は地蔵峰寺(塔下王子)の裏手にある景勝地です。

ここからの眺めが素晴らしいため、熊野詣の上皇や法皇の仮御所が置かれたことから

御所の芝と呼ばれるようになったそうです。


遠く、和歌浦や淡路島、四国まで見渡せます。

見える景色は変わったでしょうが、

遠い昔、有間皇子はどうのような思いで、この風景を見たのでしょうか。


いにしえ人に思いを馳せながら、帰路につきました。







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